歴史なんてツマラナイ?
「歴史なんてやったところで役に立たない」
「勝っては幕府が作られそして反乱が起きて倒される、それの繰り返しでつまらない」
そんな声をしばしば聞く。
あ、そうですか。と普段は屁にも思わない私だけど 今回はバカ真面目に書いていく。
ドイツの宰相ビスマルクのこんな言葉をご存知だろうか。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
これは私の座右の銘でもあり 常に心に刻んでいる言葉だ。
(ただ、ここでビスマルクの言った「歴史」は正確には他者の失敗 のことであり 人間がこんにちまで営み作り上げてきた歴史のことではない。ただ便宜上あえて曲解された意味で書いていきたいと思う)
平安時代の貴族、知識人は漢詩や中国文学を嗜み、それを手本としてきた。
戦国時代の武将は古代中国の戦術を参考にしてきた。
すげぇぜジャパニーズサムライ。
しかし、だ。
時代が進み 豊かで便利な世の中になった今、先人達が生み出した教訓、繰り返される戦いと勝者が作り上げる歴史を学ぶことに何か意味があるのか、その問いには私ならこう答える。
歴史を「学ぶこと」をゴールにしてはいけない。大事を成し遂げ、歴史を変えた偉人は必ず先人の知恵や行動に学んでいる。
故に、「それを普段の生活や行動に生かす」ことで学ぶ意義、ひいては「自分の中の自分」を見いだせるのではないか。
例えば佐々木小次郎と宮本武蔵の「巌流島の戦い」を学んだら、タイマンで喧嘩する時にわざと遅刻して気を散らせケリをつけるだとか。
曹操と袁紹の「官渡の戦い」を学んだら敵対する相手と持久戦になっても粘り続けて頑張るだとか。
アドルフ・ヒトラーの演説での巧妙な話術を真似してみるだとか。
こうして見ると結構あるんじゃない?私は喧嘩しませんけど。
さ、疲れたし甘いものでも食べようかな。